ビッグひな祭りの歴史

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徳島県勝浦町大字生名

昭和60年に勝浦町の役場職員有志十人で町おこし「ちえぶくろ」を立ち上げ「全国に発信できるイベント」ができないかと思案し「百段のひな壇」をメインとしたひな祭り開催を決定し、昭和六十三年四月に二日間開いたのが始まりである。
 ひな壇は二十五段を四面に組み合わせたピラミッド状で高さ3.4メートル。当時は手元にひな人形はなく提供を呼びかけ、千体の人形集めにも四苦八苦したが、二回、三回と開催するうちに、ユニークなひな壇と「人形を供養し飾ってもらえる」話題を呼び、県外からも人形が送られてきた。しかし全国的な広がりは、町職員だけでは運営ができなくなり、第四回目からは町の活性化グループ「阿波勝浦井戸端塾」が引き継ぎ現在に至っている。
 井戸端塾では構成メンバー五十人の組織力を活かしひな祭りがマンネリ化しないように「ひな人形に贈る言葉」や「ひな人形・ひな祭り写真」「ひな祭りイベント情報」「愛子ちゃんびな」募集など全国に発信し大反響を呼んだ。平成十四年に井戸端塾はNPO法人の認証を受け更にグレードアップしている。
 ひな祭りの広がりは、国際文化交流として二十数カ国に人形を贈っており国内においても「人形の里親」として個人はもとより、全国十数ヶ所市町村にひな人形を贈り交流を深め、町内においても「ひな祭りの奥座敷」や「各商店街のひな飾り」、「ロマン街道のひな飾り」など町全体がひな祭り一色の盛り上がりをみせている。ひな祭りの会場は当初から町の体育館を利用していたが、準備片付け等に短時間の労力を要し苦労しており、常設館を強く求めていたが、平成十六年には木工所を購入し、第十七回から「人形文化交流館」として当地で開催している。現在、送られて来る人形は約八千体から一万体と増え続けており、中央のピラミットも毎年のようにかさ上げし現在八メートルに達し周辺のひな壇を含め五百段、約三万体のひな人形が飾られている。今後においても、ひな人形を日本の文化として「グローバル・ビッグひな祭り」をさらに発展させたい。

(看板引用)

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