芝生城跡

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徳島県三野町

戦国大名「三好長慶一族」の本拠地

寛正年間(1465年ごろ)小笠原家11代義長は、池田の大西城を廃し芝生城を築き、姓を三好と改めここを居城とし、三好市の家祖となったという。以後、2代長之、3代之長、4代長秀、5代元長、6代長慶(ながよし)まで、芝生城は三好氏の本拠地となった。三好長慶は、大永2年(1522年)2月13日芝生城において産声を挙げた。長慶を身籠った母は、吉野川の清流で水ごりを取り、「天晴れ、英雄英傑を産ませ給え」と念じたという。天文元年(1532年)堺から帰国していた長慶は、父の戦死後奮起し、翌年12歳を以て芝生城を出陣、勝端城(藍住町)を経て、再び幾内に進出した。折しも抗争中の管領細川晴元と、一向宗本願寺光教の和議を調停するなど軍功を挙げながら一進一退を重ねたが、天文19年(1550年)ついに京の都を制覇し、最高実力者の座を掌中に収めるに至った。(後略)

(看板抜粋引用)

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