坂東勘五郎墓所

徳島の河川

トップページ高知県の観光徳島の河川那賀川>坂東勘五郎墓所

阿南市史跡

坂東勘五郎は、江戸末期の文久元年(1861)、中庄村の郷士坂東恒五郎の長男として生まれた。徳島師範学校卒業後、小学校教員、郡書記、県会議員、県会副議長を経て、明治27年(1894)衆議院議員として当選し、以後連続当選して在職25年に及んだ。
 伊藤博文と親交があり、在任中に同志と共に地価修正運動を起してこれを実現し、北海道縦貫道の完成、全国の鉄道敷設、ふるさとでも徳島鉄道会社を設立して社長となり、また日本勧業博覧会評議員として、わが国の交通・産業の開発振興に多大な功績を残した。
 しかし、第40回国会の請願委員長として日夜をとわず職務に勉励したが、職場で倒れて一週間後、大正7年(1917)3月23日に急逝した。享年58歳。
従五位勲三等

坂東勘五郎墓所

徳島の河川

四国の観光へ戻る  四国の河川へ戻る 
高知県の観光へ戻る  吉野川へ戻る 
徳島の河川へ戻る  那賀川へ戻る