徳島城跡

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徳島県徳島市

国指定史跡

市内中心部にある城山に築城された平山城屋形造りの典型的な城で、1585年(天正13)蜂須賀家政以来、14代茂韶まで約280年間藩政の中心となった。この地に初めて城が築かれたのは南北朝内乱期の1385年(至徳2)。細川頼之が五山の学僧絶海中津を伴ってこの地を訪れ、中国の渭水の地に似ているので渭津と名付け、披官の三島外記に山頂の城を守備させた。永禄年間には三好氏配下の森飛騨守が居城し、山下の寺島城には家臣の福良佐渡守を置いていた。しかし1582年(天正10)長宗我部元親によって落城し、元親は重臣の吉田孫左衛門康俊を城番に任じた。1585年(同13)四国征伐によって、この城は上方勢に接収された。この年に阿波に封じられた蜂須賀家政は、まず一宮城を居城としたが、一宮は領国一円を支配するには適さないとして、直ちに長宗我部氏・小早川氏・比叡山の僧衆などに築城のための普請役を課し、猪山城を増改築して翌年には早くも居城を移した。このとき猪山城は徳島城と改名された。

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