東山城

徳島の河川

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徳島県東みよし町

この城跡は、城山(じょうやま)と呼ばれているが、城の型式からも南北朝時代(1340年頃)の築城と考えられる。八ッ石城と共に南朝方の新田氏一族が拠ったと伝えられる。この城は、河内の千早城に範をとったもので前方と側方の三方は天然の要害であり、搦手は後方の隠里(かくれさと)へ通じている。山頂には空濠(からぼり)が回らされ、今も岩石落しの割石が残っている。細川方(北朝方)は攻めあぐんで兵糧攻め水攻めをしたが容易に落城せず、白米伝説を残している。その後、空城となっていたが、戦国時代、白地城主大西出雲守頼武の弟大西備中守元武が拠ったと言われている。元武は、予州の轟城々主で、白地城大西氏の勢力拡大に大いに活躍したが、天正五年(1577年)長宗我部元親と戦って落城し、予州宇摩郡妻鳥村(めんどり村)で逆徒のため憤死したと伝えられる。


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