徳島城跡

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徳島城

城址は渭山とも呼ぶ海抜僅に61mの丘陵にあって、城は永禄年間に森高次が築き、天正10年長宗我部元親が攻めて奪ったが、天正13年に豊臣秀吉は四国征伐の時蜂須賀家政にこれを抜かせた。その後蜂須賀氏の居城として明治維新に及んでいる。家政は城郭を拡張して修築を加え翌年7月ここに移った。城は屋形式で外観は貧弱であったが、附近の自然を巧に利用した要塞として鳴らしたもので、当時は高松の城は3日で落しても徳島城は3月かかっても開城させ得ないとまでいわれていた。この城山は公園として市民に親しまれるばかりでなく、貝塚、古代海岸の痕跡など学術上にも興味ある史料をもっている。なお、山上本丸址からは徳島市街はいうに及ばず、紀淡の山々なども一望のもとに見渡すことができる。

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