徳島城鷲の門

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徳島城

徳島城(別名 渭津城)は、天正十三年(1585年)に阿波に入国した蜂須賀家政が築城した屋形造りの平山城であった。幕藩時代を通じ蜂須賀家が十四代にわたって居城し、二百八十余年の間、阿波・淡路両国二十五万七千八百石を支配した。鷲の門は、この徳島城の巽(南東の方向)に位置する表口見付の門で、その造りは脇戸付の薬医門であった。幕府に鷲を飼うからと申し立て建設したところから鷲の門の名があると伝えられている。廃藩置県の後、城郭の建造物は取り壊され、唯一残された鷲の門も昭和二十年(1945年)七月四日早暁の徳島大空襲によって焼失した。

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