岩倉城跡

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徳島県美馬市脇町字田上

岩倉城は、中世に築城された阿波国西部地区を代表する城の一つです。阿波国西部の戦略的要衛である脇・岩倉点在する城館群の中核的機能を果たす城であり、最盛期には六坊を備えた広大な城域を持っていたといわれます。代表的な城主として、三好長慶の叔父の三好康長(笑岩)が挙げられます。正確な築城年代は不明ですが、一説によると阿波国守護の小笠原長房が文永四年(1267年)に居城していたとされていることから、古くから阿波西部の防衛拠点としての重要な役割を果たしていた城郭といえます。東の脇城とは密接な関係にあり、岩倉城と東の脇城の二城は地理的に近く相互連携することで防衛拠点機能を果たしていましたが、次第に主たる機能は脇城へと移行していきます。現在までの地形改変により、本来の岩倉城の姿は大きく失われており、現在その痕跡が確認できるのは本丸跡と思われるこの位置のみである。

(看板引用)

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